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(tekst w języku japońskim i polskim) TUFSポーランド語科の学生たち: 鳥山さんは、能学師(能楽小鼓方観世流)でいらっしゃいますが、大学では農業を勉強されていました。なぜ農学部に入られたのでしょうか 鳥山直也: もともと最初から能楽師を目指していたわけではありません。もともとは地球環境問題に興味がありました。当時は、地球環境問題について扱っている大学が少なかったので、その中で島根大学の農学部を選びました。 学生時代の夢は何でしたか 大学時代ははっきりとしたビジョンは無かったですけれど、卒業後は緑化関係の仕事をやりました。 中国にはなぜ留学されたのですか それは私の仕事とは全く関係ありません。小さい頃から中国の香港のカンフー映画が好きでした。だから中国に単純に行ってみたかったのです。しかも、国の交換留学の提携の大学があって、タダで行けるので、応募しました。 大学での経験が、能楽師としての活動をする上でどのように役立っていますか 正直に言うと、全く関係のない分野なので直接的には役に立ちません。ただ、中国に留学した時の中国語の経験が、中国の方に教えるときに役に立ったりと、語学が役に立ったりします。また深いところでは、昔の芸能は農業と深いかかわりがありましたので、直接的ではないですが、関連しているのかなと思います。 いつから、そしてどのような理由で能に興味を持たれたのですか 一つ目のきっかけは中国の留学です。日本を離れることで、かえって日本のことに目が向きました。二つ目は、就職するときに変な本を見かけたからです。『手に職をつけたい人の本』という本が出ていました。そこには色々な職人さんが紹介されていました。職人さんの他に歌舞伎の研修の募集、文楽の研修の募集が載っていました。一番興味を持ったのは、授業料免除、奨学金貸与でした。 いわゆる一般家庭のご出身ですが、能の役者になる資格は誰もが持っているのでしょうか 誰もが可能性があります。 鳥山さんはどのくらいの頻度で公演をなさっているのですか。 その時によりますね。歌舞伎の場合、松竹さんという芸能事務所があって、そこからお仕事のオファーがきます。それに対して我々(能楽師)は一人一人が個人事業主なので、その舞台ごとにお仕事をいただいて出演するという仕組みになっています。なので季節によってオファーがたくさん来る時もあればそうでないときもあります。主に春と秋が多く、夏と冬は少ないです。 国からの支援はあるのですか。 私が小鼓方になるときに、支援は受けましたが、なった後は特にありません。催しによってはどこかからの補助金を使っているものはありますが、基本的にはお客さんからのチケット代ですね。 どこで公演なさっているのですか あまり知られていませんが、東京だけでも能楽堂が10か所以上あります。専門の能の舞台がそれだけあって、週末になればさまざまな催しがそれぞれの舞台で行われています。ただネットなどにも載っていませんので、公演に関する情報は少ないですね。一回能楽堂に来ていただけると、そこにはチラシがたくさんあるので、次の公演の情報を得られるのです。最初の公演を見に行くまでが敷居が高いですね。ただ比較的、国立能楽堂は初心者向けの舞台をやっていたりします。普及公演ですね。それをまず手始めに見に行くというのもいいと思います。 能は基本的にシンプルにできています。能は成立した時代が室町で、割と禅の思想と重なっているので。他の芸能は高度な技術を求めて複雑に発展してきているのがほとんどですが、能はそれと逆なんですね。無駄なものをどんどんそぎ落としてシンプルにという方向に進んできました。だからやっていること自体は難しくないです。演奏自体も、歌舞伎のほうが難しい演奏をしていると思います。だから素人の人がやるには習いやすい。ですが極めようと思うと、シンプルにできているので、なかなか難しいと思います。 国立能楽堂、東京、千駄ヶ谷 小鼓とはどんな楽器ですか まず、この楽器の音はとても有名ですが、楽器そのものについては余り知られていません。日本人でもて知っている人は少ないです。普段はこのようにバラして持ち運びます。これは馬の皮でできています。真ん中に入るのが、木でできた「胴」というものですが、何の木でできているかわかりますか 桜ですか そうです。重いですが堅くて丈夫です。上下の皮を麻の紐で組み合わせます。この小鼓の胴の部分は300年ほど前のものです。革はそれより新しいですけどね。 このようにして小鼓が組みあがります。この小鼓のたいへん大きな特徴は、左手で持って、握ったり緩めたりして音色を変えることです。あとは左手のタイミングを変えたり、右手の打つ場所を変えたりすることで音を変えます。小さくて高い音。強くて高い音。低くて弱い音。低くて強い音。主にこの4つの音を使います。 では、ちょっとだけ見本として演奏してみましょうか. 本来は謡に合わせたり、他の楽器と一緒に演奏するものなので、一人で演奏することはありませんが、ちょっとやってみますね。(鳥山さんが演奏する。) 小鼓の「よっ」「ほぉ」などの掛け声は何を意味するのですか 意味はないのですが、役割があります。一般的に、音を出す前に掛け声をかけます。どこで打って音を出すかということを、その前の掛け声によって意思表示するんです。つまり楽器を打つタイミングですね、いつ音を出すのかということを意思表示しているんです。たとえば短く掛け声をかければ、そのあとすぐに短く打ちます。長く掛け声をかければ、そのあと間があってから音が出るということが相手に伝わります。 掛け声と同様に、音自体に何か特別な意味があるわけではないですけど、音の使い分けでこの音は静かな時に使うとか、強いときに使うとか。こういった使い分けはあります。 舞台上で、小鼓の演奏者が折りたたみ式のイスのようなものに座って演奏しているのを見たことがあるのですが、直接舞台の床に座らないのはなぜですか。その違いを教えてください。 楽器演奏者の中でも、その床机にかけるのは小鼓を大鼓だけで、笛と太鼓の人は床に正座して座っています。理由はいくつかの説があるのですが、ひとつ大きな理由としては、主役(シテ)が面(オモテ)をつけて舞を舞います。その能面をつけると視野が大変狭くなります。上下左右が見えなくなり、見えるのは真正面だけというのが面をつけた時の視界なんです。ですから自分の位置、方角を確かめるのに、自分の目の高さにあるものが何かないと、下に座っていても見えません。なので小鼓と大鼓が少し上に座っていることで目印になるんです。 ポーランドで具体的にどんな仕事をなされていたのでしょうか 最初にポーランドへ行ったときは、もちろんワークショップもありましたが主に能の公演で参りました。その時にポーランドに大変興味を持って、翌年、翌々年と呼ばれてもいないのにワークショップをしに行きました。小鼓は、一人で成り立たないんです。謡やほかの楽器と一緒に演奏することで成立するものなので、一人で講演というものができないため、ワークショップをしました。 ポーランドで初めて公演した時、ポーランド人はどのような反応をしていましたか 人によって違うとは思いますが、中には感激して涙を流している人もいました。ワークショップの時には、質問でとても専門的な質問が出て驚きました。親日家の方も多く、みなさんとても興味を持ってくださいました。 緑蘭会は女の人が多いようですが、ポーランドでは能に興味を持つのは女性が多いのでしょうか(“桜舞ポーランド”もそのような感じでしたが) 特に女性が多いという印象はありませんが、緑蘭会のメンバーは女性が多いですね。ワークショップの手伝いをしていただいた時には、男性が混ざると声の高さが違うので女性で統一したという部分もあるかと思います。 ポーランド人は、日本人や他の国の人と比べて、能に対してどのような反応をしますか そんなに大きな違いはないと思うのですが、先ほども言った通り、ポーランドの人は, 日本のことにたくさん興味を持ってくださるので、興味深く観てくださいます。特に日本の歴史・伝統のものということで、興味を持ってくださるのかなと思います。 鳥山さんは、能に対して観客のどのような反応を期待していますか 公演の時は、静かに注目して観ていただければ、あとはそれぞれの受け止め方でいいと思います。ワークショップの時は、話に対して興味を持って聞いていただければありがたいです。 どの国の反応に一番手応えを感じましたか 難しい質問ですね。まあ、印象に残っているということでいうと、イタリアのトリノと、カナダのモントリオールでやった時の、終わった後のお客さんの反応というか、興奮というか、そういうものがよく伝わってきました。 集客数が一番多かったのはどこの国・地域でしょうか あまり覚えていないんですが、お客さんが多いというか、席数が多いというか、会場の大きさによると思うんですが、会場が大きかったのはイタリアのトリノだったと思います。 なぜそれほど多く海外公演に参加されているのでしょうか 単純にもともと旅行が好きだということがありますけども、あともう一つ、私の師匠が、飛行機が嫌いです。なので、海外の仕事を断るので、私に回ってくることが比較的多いかもしれません。 次に行ってみたい(公演してみたい)と思う国はどこですか これはもちろんポーランドです、と答えるべきなんでしょうかね。他にもまだいっていないヨーロッパの国とかにも行ってみたいですね。呼ばれればどこでも行きたいです。 鳥山さんは「新作能」をご覧になりましたか。こういった新しいスタイルの能についてどのような意見をお持ちですか。 はい、oczywiście!能楽界にはいろいろな人がいて、そういった新しいスタイルの能に否定的な人もいれば、肯定的な人もいます。私は、そういったもの(新しいスタイルの能)も存在価値があると思っています。 能の歴史は600年、700年ありますが、それが成立するまではいろいろな試みがあったはずなんですね、ということは、生きた芸能として、これからも続いていくためにそういうことが、いろんな試みがあっていいと思います。 鳥山さんが思う、能の醍醐味とは何でしょうか ちょっと難しい質問ではありますが、映画や、テレビ、ドラマのような録音したものではなく、演劇の一つとして生のものとしての緊張感が一つ大きな醍醐味だと思います。ちょっと難しいことを言いますと、緊張感についてなんですが、一般的な芸能やスポーツなんかでも、一人の監督、演出家、ディレクターの、一つの目指す答えに向かって、大勢がそれに集まっていく方向のものが多いものですが、能の場合は絶対的な指導者というか、ディレクターですね、監督がいるわけではなく、それぞれの役割が自分の思いに従って引っ張り合うことで生まれる緊張感が大きく違うところですね。 日本の伝統芸能の一つの「能」が今後、世界でどのような役割を果たしてほしいと思っていらっしゃいますか 一つは単純に日本のこと、日本のもの、その中の伝統芸能である能を知ってほしい、ふれてほしいというのがありますね。それを通して、大げさに言うのであれば、お互いの違うところ、共通点など、それぞれの国同士が、理解を深めて、最終的には平和に近づいていけば良いなと思っています。 .......................................................................................................................... 能楽小鼓方観世流 鳥山直也●主な履歴1971年、愛知県豊田市にて会社員と専業主婦という両親の長男として出生1990年、国立島根大学農学部入学1992年~1993年、中華人民共和国・黒龍江省の東北林業大学に留学1995年、国立島根大学農学部卒業、株式会社ミック(緑化造園業)に入社1996年、株式会社ミック退社、国立能楽堂三役養成研修開始観世流小鼓第十八代宗家観世豊純及び観世新九朗(共に重要無形文化財総合指定)に師事1999年、日本能楽協会入会2002年、国立能楽堂三役養成研修修了●主な活動2002年7月、イギリス・ロンドン公演出演2004年10月、中国・天津公演出演2006年3月、オーストラリア・シドニー公演出演2006年夏、NHK大河ドラマ『功名が辻』出演2007年春、新作能『紅天女』出演(漫画『ガラスの仮面』より)2009年9月、イタリア・ミラノ/トリノ公演出演2010年1月 シンガポール公演2010年 映画『必死剣鳥刺し』出演2014年4月 カナダ・モントリオール/バンクーバー公演2014年4月 NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』出演2014年5月 ポーランド・ルブリン/ザブジェ公演2015年2月-3月、カナダ・アメリカ公演2015年4月、ポーランド、小鼓ワークショップ開催他、首都圏を中心に舞台出演中   Od rolnictwa do teatru Nō - rozmowa z Naoyą Toriyamą, artystą teatru Nō  Studenci polonisytki TUFS: Jest pan artystą teatru Nō, gdzie jako muzyk szkoły Kanze gra pan na bębenku kotsuzumi, jednak na uniwersytecie studiował pan rolnictwo. Dlaczego wybrał pan studia na wydziale rolniczym? Naoya Toriyama: Początkowo nie miałem zamiaru zostać artystą Nō. Najpierw interesowałem się globalnymi problemami środowiskowymi. W tym czasie niewiele uniwersytetów zajmowało się tym zagadnieniem, dlatego wybrałem wydział rolniczy na uniwersytecie Shimane. O czym pan marzył, kiedy pan był studentem? W czasie studiów nie miałem wyraźnej wizji, ale po studiach wykonywałem pracę związaną z sadzeniem roślin. Z jakiego powodu studiował pan w Chinach? To zupełnie nie miało związku z moją pracą. Od dziecka lubiłem filmy kung-fu z Hongkongu i dlatego po prostu chciałem pojechać do Chin. Poza tym był uniwersytet, który miał umowę o wymianie studentów z Japonią, więc zgłosiłem się, bo mogłem pojechać za darmo. Czy doświadczenie uzyskane podczas studiów na uniwersytecie pomaga panu w działalności artystycznej w teatrze Nō? Prawdę mówiąc, to jest zupełnie inna dziedzina, dlatego bezpośrednio nie pomaga mi w…
Opublikowano w Kultura i sztuka
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